軍艦島(端島) 上陸ツアー レポート。

トッティ

2011年04月30日 11:13

昨日に続いて、軍艦島の上陸レポートです。
ガイド役は、NPO法人 軍艦島を世界遺産にする会の 坂本道徳理事長です。



軍艦島への上陸は「1時間以内。」と制限されています。
「見学通路」と「見学広場」が整理されていて、それ以外に立ち入ることはできません。

「見学広場」は 3つあります。

まず「第1見学広場」から。


画像右に見える建物が「端島小中学校」です。
1958(昭和33)年に建てられた 7階の建物。
1~4階が小学校、5,7階が中学校、6階には講堂、音楽室、図書館がありました。

左に見える建物が「3号棟」の「職員社宅」ですね。
RC造り 4階建て、1959(昭和34)年に建設です。

次に「第2見学広場」です。

後ろにある、レンガ造りの建物が、端島炭鉱の中枢の「総合事務所」です。


坂本さんが持つ当時の写真と比較してください。


視点を右にやると、「第2堅坑坑口桟橋跡」があります。


右に「階段」が残っていますが、探坑夫はこの「階段」を毎日昇って、エレベータに乗り、
600m地下まで降りて石炭を掘り続けたのです。

坂本さんが持つ写真は、炭鉱作業を終え、
安堵感を持って、この「階段」を下りてくる写真です。

最後に「第3見学広場」。


右に「30号棟アパート」、左に「31号アパート」があります。
坂本さんが持つ写真が当時の「写真」です。
当時の雰囲気が伝わってきそうな、とても「ノスタルジア」な 1枚です。

「第3見学広場」から「第1見学広場」まで散歩した風景を動画にしました。
こちらもご覧になってください。
注目は聞こえてくる「島の音」です。
どんな音が聞こえてくるでしょうか。


「石炭→石油」へのエネルギー政策の転換に伴い、
1974年 1月に端島砿は「閉山」、3ヶ月後の 4月には島民全員が引っ越しし、「無人島」になった端島。

八幡製鉄所の発展の裏にこの探鉱の存在があった。
日本の近代化を支えた端島(軍艦島)。

今の日本も「原発震災」を受け、抜本的にエネルギー政策の転換が迫られています。
「原発」を「閉山(=停止)」させるだけのこと、
それに向けた政策の見直しを絶対に行わなくていけない。

「島」を離れていく動画。
海からはこんな風に「軍艦島」は見えるのです。










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