2013年09月20日 01:01
しまくとぅばの日
深く掘れ「文化の基層」
ユネスコという国連の機関が、沖縄の島々で使われている言葉を、絶滅の危機にある言語、と認定しました。
どうにかして手だてを講じなければ消滅してしまうと、警鐘を打ち鳴らしたのです。
どうしたら琉球語を残していけるのでしょうか。そもそも残していくことにどのような意義があるのでしょうか。「しまくとぅばの日」に考えてみました。
沖縄は今から 134年前の 1879年、琉球処分によって日本に組み込まれました。その翌年には「東京の言葉」を教えるために「沖縄対話」という名前の会話体の教科書が作られています。
こんな会話文が紹介されていました。
「今日(チュウ) ハ(ヤ) 誠 (マクト) ニ(ニ) 長閑 (エー) (のどか) ナ 天気 (テンチ) デ ゴザリマス (デービル)」
戦争の足音が高くなると、沖縄県は島を挙げて標準語励行運動に取り組むようになり、あちらこちらに「一家そろって標準語」のポスターが張られました。
常日ごろ使っているしまくとぅばが遅れた言葉とみなされ、使うと、罰としてみんなの前で「方言札」をぶら下げられたのです。
そのために、子どもたちの心は傷つき、劣等感を植え付けられることになりました。
語政策は政治と深い関係があります。米軍政下の沖縄では、祖国復帰運動と日の丸掲揚運動と標準語教育が一緒になって、現場の教師たちによって「日本国民としての教育」が進められました。
戦後、35年ぶりに里帰りした詩人の山之口貘は、戦争で変わってしまった沖縄を思って、こう嘆いています。
「ウチナーグチマディン ムル イクサニ サッタルバスイ」 (ウチナーグチまでもすべて戦争でやられたのか)
続きはこちら。